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by metalslymes
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はいからさん

が通るの1シーンみたいな古びた写真を前に見たことがある。
大正ロマン漂う頃のおばあちゃん、千代子。

その昔、観光客で賑わう田舎町お伊勢さんで、銀行や旅館など手広く事業を営んでいた裕福なお家に、東京生まれ東京育ちのご令嬢が、盛大な結婚式を経てお嫁さんとしてやってきた。

その後、今でいうバブルの崩壊が起こり、すべての事業を失い、今までの裕福な生活が一転、極貧生活を経験することになる。

それでも、やさしい夫とかわいい2人の子供、おなかには、私の母となる幸子を身ごもり、つつましくも幸せな生活をしていた。

しかし、幸子が生まれる10日前に、最愛の夫が胃がんで他界する。

夫の死を悲しむ間もなく、幸子が生まれる。

慣れない土地で3人の子供、おそらく今まで働いたこともなかったであろう千代子は、死に物狂いで3人の子供を立派に育て上げる。

ワタシが物心ついた時に、おばあちゃんは高架下の小さな小さな長屋に住んでいた。年齢よりもずっと年を取っているようにみえた。一度だって化粧をしている姿を見たことがなかった。

擦り切れたタタミに、不釣合いな大きな立派なお琴、おばあちゃんの上品な標準語の言葉遣いや、なんでか高学歴だったりは、昔、少しだけ不思議だった。

お通夜が終わった後の初対面の親戚たちから聞く私の知らないおばあちゃんの話は非常に興味深かった。その日の夜は、若かりし日のおばあちゃんを空想して朝を迎えた。

どうして、夫が亡くなった時、子供たちを連れて東京に帰らなかったんだろう。そしたら、実家の家族が助けてくれたりして楽できたんじゃないの?って思ったけど、この疑問は愚問だった。
おばあちゃんは元気な頃、お墓の世話をとてもよくしていた。
そっか、ずっとそばにいたかったんだね。だから伊勢で一生を終えたんだ。
おばあちゃんは、夫のお墓を建てる時、すでに自分の名前を彫っていた。生きているから赤文字で。そして、今、ようやく分かった。50年以上も前から自分の名前を彫った意味が。
一緒のお墓に入るって決めていたってこと。それは、36歳の時点で、絶対再婚しないって自分で決めていたことになる。それってすごい。ワタシだったら、たぶん、できない。いい人いたら再婚しちゃうかもしれない。分からないけど、分からないから、そんなことできない。



伊勢に着いたその足で、おばあちゃんに会いに行ったら、GWに会った時と同じように眠っているみたいだった。いや、GWに会った時より30歳は若く見えた。薄く口紅を引いてもらい、ほほには桃色のチークを入れてもらって、痩せた歯茎の間に綿をつめてもらってふくよかなほっぺたをしていて、それはそれはきれいだった。なので思わず、ほおずりをしてみたら、ひどく冷たく硬かった。

おばあちゃんは死んだのだ。

天国へ行くための旅支度をする。杖は伊勢神宮で80歳の時に頂いたという立派な杖で、足の悪いおばあちゃんでも大丈夫そうだった。足袋はワタシが履かせてあげた。おばあちゃんの外反母趾をさすりながら、「ワタシが生まれつき外反母趾なのは、おばあちゃんの遺伝子だね」と話しかけてみた。痛いかなと思って緩めに紐を結んでいたら、葬儀屋さんに「もう痛くないから、旅の途中で脱げないようにしっかり結んでね」と注意されて、みんなが笑った。泣き笑い。

黒い枠に囲われたおばあちゃんは、シクラメンをいっぱい抱えて笑っていて、その横で、ほとんど燃えてしまって残らなかった細い骨を拾って気が狂いそうになったけど、事実を受け入れるための儀式だと思って頑張った。

ワタシの家は、仏壇があるからたぶん仏教なんだけど、母方の方は、伊勢には多いという神道で、お葬式がちょっと変わっていた。お別れの儀式みたいなのは、悲しい音色の笛や太鼓が鳴り響いて、その後の、神様になる儀式みたいなのは、安土桃山時代の宴ってこんなんかなーって感じの、天上にあがっていく感じの笛や太鼓が鳴り響き、最後におばあちゃんの魂を持った神主さんが、重厚な木の扉の向こうへ「うーーーーーーー」って叫びながら走っていった。で、おばあちゃんを置いて扉を閉めて、鍵まで閉めた。それは、おばあちゃんが神様になった瞬間だったらしい。とても分かりやすい。神道では、みんな死んだら神様になるらしい。ピッコロの神って書いてある方の服を着ているおばあちゃんを想像してしまって笑ってしまった。そしたら気がすこし楽になった。

そんなわけで、3日間、どっぷりおばあちゃんのことだけを考えて私の中での儀式も終わった。

ただ、心にずっしりと残ってしまったのは、普段ワタシたちに合わせて「おばあちゃん」って呼んでるワタシのお母さんが、おばあちゃんの体をさすりながら、「母ちゃん、母ちゃん」って泣き崩れていた姿。お母さんは父親を知らない。3兄弟の中でも特に取り乱し泣き崩れ、それはただの小さい子供のように見えた。

いつかワタシにもそんな日がやってくるのだと思う。お別れの日。

お父さん、お母さんを大切にしなくては。
どんな病気でもすぐに治る薬が発明されるまで長生きしてもらわなくては。

「ワタシがしっかりして、自立して、安心なんかしたら、気が緩んで病気になってしまうといけないから、これからも、好き勝手やりたい放題して、心配させて、子離れしたくてもできないように頑張るよ!」ってお母さんに言ったら怒られた。他に良い方法が思い浮かばないので、とりあえず実行するけどね。



おばあちゃんが最後に言った言葉。

「お家に帰りたい。」

70年以上伊勢に住んでても最後まで標準語だった。

寝たきりになってもオムツ姿を家族には見せなかった。

食事の後は、必ずティッシュで口のまわりを拭く。

93歳になっても大和撫子で最後まで上品な女性だった。
by metalslymes | 2005-05-21 16:32 | LIFE